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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)199号 判決 1957年4月30日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山本敏雄、同中村益之助の上告理由第一点について。

論旨前段は、原判決は、黒田一の過失に基因する上告人所有小型自動車破損の共同不法行為を否定した点に民法七一九条一項の擬律錯誤がある、と主張するが、原判決は所論不法行為による損害賠償債権を以てする相殺は許されないと判示しているに止まり、所論の如く共同不法行為の成立まで否定している趣旨ではないから、右論旨は理由がない。

論旨後段は、黒田に自動車破損の不法行為についての過失あるが故に黒田の生命侵害につき不法行為責任なしというのか、生命侵害自体に自己の過失あるが故にその不法行為責任なしというのかいずれかの意味に解される。しかし自動車破損につき過失があるという理由だけで生命侵害なる別個の不法行為責任を免れ得ないことは言うを俟たず、また、加害者たる川守の過失ある行為と黒田の生命侵害との間に相当因果関係がある以上、黒田に過失があるとの理由だけで川守の不法行為による損害賠償責任を免れ得ないことは勿論であり、単に過失相殺の問題を生じるにすぎない。原判決認定事実によれば川守の過失ある行為と黒田の生命侵害との間に相当因果関係のあることは明らかであるから、川守の不法行為に基く損害賠償責任を認めた原判決には所論の如き擬律錯誤、もしくは理由齟齬はない。それ故右論旨も理由がない。

同第三点について。

論旨がもし、自動車破損の不法行為における黒田の過失によつて、生命侵害の不法行為責任を否定しようとするにあるならば、その理由なきこと前に述べたとおりである。また論旨が仮りに、被用者数名の「(使用者の)事業ノ執行ニ付」いて、その共同過失によりその一人について権利侵害(違法な事実)が生じた場合、民法七一五条の使用者責任は生じない、との主張だとしても、論旨はやはり理由がない。けだしこの問題はかかる被害者たる被用者が同条の「第三者」に該当するか否かの問題であるが、被害者たる被用者がその業務執行の担当者でなかつた場合及び共同担当者ではあつたが当人には過失のなかつた場合に、民法七一五条の救済を拒絶さるべき理由のないことは明白である。(大正一〇年五月七日大審院判決、民録八八七頁参照)。そうだとすれば本件のように被害者たる被用者がその業務執行の共同担当者にして、しかも当人にも過失があつた場合においても、なお前記二つの場合と同様に解するを相当としよう。何となれば、民法七一五条の使用者責任の理由は、他人を使用して企業の利益を受け、もしくは危険を包蔵する企業を営んで利益を受ける企業者に、公平上、企業それ自体を理由として他人の行為につき報償責任もしくは危険責任を負わしめるにあり、この理由からすれば、一方の共同職務担当者に民法七一五条一項に該当する不法行為が存する以上、なお同条の企業責任を負担せしめて差支えなく、前記の場合と区別すべき理由がないからである。被害者の業務執行上の過失に基く責任の公平化は、過失相殺によつて十分その目的を達し得べく、原判決にはすべて所論の違法はない。

同第二点について。

論旨は、先ず、上告人の負担する債務が上告人自身の不法行為によるものでないとの理由により、黒田の自動車破損による損害賠償請求権をもつてする相殺は許容すべきものであるとして、民法五〇九条の擬律錯誤を主張する。しかし民法七一五条の使用者責任が使用者自身の過失責任を理由とするか、純然たる結果責任であるかの問題は別とし、仮りに後者であつたとしても不法行為による債務であることに変りなく、民法五〇九条の条文も彼此区別していないのみならず、同条の趣旨が不法行為の被害者に現実の弁償済によつて損害の填補を受けしめようとするにある以上、これを除外すべき何等の理由がなく、所論のように自己の不法行為でないとの理由により同条の適用を免れ得ないと解すべきであるから、これと同趣旨の原判決の判断は正当である。

論旨はさらに自働債権が不法行為による損害賠償請求権であること等の理由をあげて、本件に同条を適用すべきでないと主張するが、右に述べた同条の立法趣旨に照らせば、所論はいずれも採用に値しないこと明かである。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 島 保 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己)

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